Twenties Dirtbag

イギリスの大学院で脳の勉強をしてきた25歳、今は広告業界で働きながら、ボルダリングジムを経営中! 基本的にどうでもいいはなし。

今一度、何がしたいか考える

シャーロック・ホームズの言葉で

”残された問題はひとつ、この侘しい秋の夜をどう過ごすか。だよ”

というワトスンに言った言葉が最近のお気に入り。笑

 

卒業したら何に成りたいのって言う問に対して、迷いなく ”これやで!” って言えるのはカッコいい。 今の時点でそれを聞かれたら、自分だったら ”芸術家!” って答えるけど、この芸術家っていうのをいうと絶対 ”は?” ってなるし、絶対に伝わらないと思っているけど、言うと思う。

 

その、一般的に思い浮かべるであろう芸術家と本質的な部分では同じ(だと信じていて)で、ただ、その表現の方法が異るのみ。

 

将来は、自分の力と自分の仲間で表現する表現者になりたい。

 

それは、とても花塚らしい方法で、花塚っぽいことを、どうにかして、足りない能力と知識を他人から、またテクノロジーの力をかりて盛大に、表現したいとおもう。

 

なぜ、これがしたいのか?

 

ときかれると、なかなか難しのだけれども。表現者に昔から憧れを持っていたっていうのが1番強いと思う。 ”何かものを創ることとがデキるひと” にとても、すごいいなあ!っていう感情を抱くことに ”気づいて”  でも自分は絵も書けないし、字も上手じゃないし美的センスが欠けているし・・・と思ったところで、美術家という選択肢が消えて、一次は、表現者になることをあきらめた。

 

ただ、いつだろう。たぶん今から4年以内のSomedayにふと思い出した気がした。

”はっ、やっぱり自分の思いや概念を形にするのは、すばらしい” ってね。

 

それをトリガーになったのは、岡本太郎とか、そこらへん(って言ったら悪い表現かもしれないけど)の芸術家の

”私は死をこう思っているんです。なぜなら、ほにゃらら”

っていう、なかなか言葉だけでは表現出来ないものを実際に形にしてしまうことに、心を奪われた。

 

まあ、そこからですね。考え始めたのは。

 

この何も出来ない自分はどうやって、表現者になるか。ということを考えていると、やっぱり自分だけではダメだった。 だけど、テクノロジーなら使えるかもしれん。って思ったわけです。

 

ただ、それだけでは満足しなくて(きっと)、他人に補ってもらうしかないな。というところに帰結したわけです。

 

いま、このタイミングで思っているけれど、確かに何故自分が表現者になりたいのか、実に謎である。 これはいつか、考えてみよう。

 

ま、そんな感じで、今の理想とする自分は上で述べたような、”者”。

 

それを理想として、今の生きる現実を創る。

 

は、その理想と計算論的神経科学がどうかかわってんねん!!というのが、考えられる疑問でしょう。 それに関してはまたいつかのタイミングで別のシャーロック・ホームズの言葉が気に入った時に書きましょう。

 

それでは、以上!

 

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