Twenties Dirtbag

イギリスの大学院で脳の勉強をしてきた25歳、今は広告業界で働きながら、ボルダリングジムを経営中! 基本的にどうでもいいはなし。

知識を入れるごとに自分がなくなる気がする

「きみは見ているだけで、観察していないんだ。見ることと観察することは、まるっきり違う。」 −シャーロック・ホームズ

 

たしかに。最近は思うことがややたくさんある(ん?日本語が変だ)。基本的にブログを書くにあたってデリートボタンは使わないというポリシーがある(単にめんどくさいだけだけどね)。だからこうやって、後付のコメントが多くなる。

 

知識を身につけるたびに、大事なものが無くなる気がしてやまない

 

ということを思うのです。まあ、なにかというと、今まで生きてきた中で「自分の中に美しく生えていたもの」が自分の中に新入生として毎日加わる情報(知識・経験)によって隠されてしまうことがある。

例えば、昔の自分が ”ロックに生きること” を大事にしていてその事を忘れてしまう(というか、なかなかそれを思い出すというか、Keep in Mindしておくには一苦労が必要)ことがあるのである。

 

 

大学院で学べば学ぶほど、”全う”になる気がする

 

自分がこの中で何を言いたいのかは、いま、この位置に置いても不明で、どうして書こうかと思ったのかもよくわからないけれども、とにかく、知識をつければ付けるたびに、昔のような”もがき”がなくなっている気がする。

そのもがきっていうのは、常に社会に対して劣等を感じで、世界を変な視点で「見る」のではなく「観察」していた自分のこと。

まあこれはきっと、なかなか伝わりにくいことでしょう。なぜなら自分でも何がいいたいか不明だからです。

 

 

簡単な話

 

昔はもっと、バカだったんだ。じゃあ今はバカじゃないかと聞かれると、どうも肯定しがたいけれども、昔(あ、1年前くらいね)はもっと本当のばかみたいに焦ってて、余裕ないくせに余裕を見せることは1流で、毎日の刺激に感動していたんだ!

この感動をわすれちゃあいけねえ。

 

 

変わり続けることで、変わらない自分で居るために

 

観察しなきゃあ、いけない。もっと世界を、飢えたライオンのように、周囲を観察して、何かを見つけなきゃならない。知識を詰め込むのと同時に、もっとバカにならなきゃならない。そうすることで本質的に変わり続けることで、変わらないでいれるのかもしれない。

 

デタラメだー咲かせろ−。

 

そんな気持ちわかるでしょう。

 

以上!

 

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