知識を入れるごとに自分がなくなる気がする
「きみは見ているだけで、観察していないんだ。見ることと観察することは、まるっきり違う。」 −シャーロック・ホームズ
たしかに。最近は思うことがややたくさんある(ん?日本語が変だ)。基本的にブログを書くにあたってデリートボタンは使わないというポリシーがある(単にめんどくさいだけだけどね)。だからこうやって、後付のコメントが多くなる。
知識を身につけるたびに、大事なものが無くなる気がしてやまない
ということを思うのです。まあ、なにかというと、今まで生きてきた中で「自分の中に美しく生えていたもの」が自分の中に新入生として毎日加わる情報(知識・経験)によって隠されてしまうことがある。
例えば、昔の自分が ”ロックに生きること” を大事にしていてその事を忘れてしまう(というか、なかなかそれを思い出すというか、Keep in Mindしておくには一苦労が必要)ことがあるのである。
大学院で学べば学ぶほど、”全う”になる気がする
自分がこの中で何を言いたいのかは、いま、この位置に置いても不明で、どうして書こうかと思ったのかもよくわからないけれども、とにかく、知識をつければ付けるたびに、昔のような”もがき”がなくなっている気がする。
そのもがきっていうのは、常に社会に対して劣等を感じで、世界を変な視点で「見る」のではなく「観察」していた自分のこと。
まあこれはきっと、なかなか伝わりにくいことでしょう。なぜなら自分でも何がいいたいか不明だからです。
簡単な話
昔はもっと、バカだったんだ。じゃあ今はバカじゃないかと聞かれると、どうも肯定しがたいけれども、昔(あ、1年前くらいね)はもっと本当のばかみたいに焦ってて、余裕ないくせに余裕を見せることは1流で、毎日の刺激に感動していたんだ!
この感動をわすれちゃあいけねえ。
変わり続けることで、変わらない自分で居るために
観察しなきゃあ、いけない。もっと世界を、飢えたライオンのように、周囲を観察して、何かを見つけなきゃならない。知識を詰め込むのと同時に、もっとバカにならなきゃならない。そうすることで本質的に変わり続けることで、変わらないでいれるのかもしれない。
デタラメだー咲かせろ−。
そんな気持ちわかるでしょう。
以上!