俺の人生を変えた○○シリーズver.1
(それなりに長い、一番下に”まとめ”有り)
例えば、いつも母が切っていたようにきゅうりを切ってみようと思っても、同じように出来ないことがある。
そんなかんじで、実際に頭の中で”知っていて”も実際にやってみるとなると、出来ない。
頭の中では、こうやってこうやればできる・・・。って考えていても、もしそれが実際にアウトプットもしくは経験したことがないことだと、意外と出来なかったりする。よ。
そんな感じで、頭の中の物を現実化させてあげると、その”知っている”範囲は広くなり、深くなることが非常に大事。
ただの、”知ってる”と”経験(Output)して知る”っていうのは全然違うことなんですね。
たぶん、結構なものが出来ないよ!笑
やってみてよ、自分の母の料理してる所めっちゃ見てたと思うけど、その調理方法とか、素材の切り方とか、知っているようで、知らないから!これ、びっくりするから。
ということで、今日から始まります、花塚の人生を変えた○○シリーズ。
まずは、いつ見たか忘れたけど、結構前に見た&人生の生きる意味を「すさまじく」変えたこのカーネマンの動画▼(いちばんした)
経験と記憶の謎っていうんだけど。
人間て、生きる以上「幸福」を追求する方がいいと思うじゃない。
当時の俺は、その幸福の意味がわかんなくて、その動画を見るまでの20年間くらい、「幸福」の意味を履き違えていた。
まあ、履き違えるということは、もし、そのまま生きてたら、俺は幸福にはなれて無かったと思う。
この動画をみての自分の考えです。
まず、「幸福とは何か?」
ってことなんだけど、ズバリ、自分の人生にどれくらい満足しているか。っていうこと。
だから、その人が「俺は幸せだーー!」って思ったり、その人が満足してたらそれでOK!
だけど、人間は、「今の経験がその人生の満足度の向上に繋がる」んじゃないかって、勘違いしている(認知のバイアス)。
例えば、すごく分かりやすいのが、アイスクリームの例だけど、アイスクリームを食べるというその瞬間の経験はすごく幸せを感じると思う(正確に言うと快楽)。
だけど、その経験が記憶(例えば3日後とか)になったら、ぶっちゃけ、覚えてないよね。ってやつ。
別の言い方をすると、昨日夕ごはんを食べたときの感情を覚えてますか?っていうのにすごく近くて、きっと昨日の夕飯を食べていた時の自分は、すごく幸せだけど、もうそれが過去になったら、その記憶ってもはや、0だよね。
その時に幸せを感じさせてくれた、”経験(アイスを食べる)”は未来でほ記憶にほとんどわすれちゃう。
ってこと。
この動画の中ですごく面白いのが、こんな質問
「あなたが10日間ドバイに旅行するとして、その最終日にその旅行の記憶が全部消えてしまっても、旅行しますか?」
ってやつ、たしかドバイとは言ってなかった。笑
これも、同じような意味。
ドバイの旅行中は、充実している様に感じて、幸せを感じるかもしれない。だけど、その1年後、そのドバイで経験した24時間×10日=240時間の記憶は、とてつもなく少なくなってると思う。
そこでこんな質問、「1年前にドバイで旅行したことは、今のあなたの人生の満足度に関わっていますか?」
きっと、NOじゃない?
そんなドバイの記憶なんて1年後には3分くらいしかの記憶しかないよ。
もっと身近にすると、こう自問自答したらいいと思う。
「以前、○○へ旅行に行った事は今の自分の人生をどれくらい幸せにしているか」
だから、俺がめっちゃ思うのは、今大学生がめっちゃ卒業旅行とか行って、やたらと旅行に行ってるけど、それがきっと人生の全体的な満足度(幸福)には繋がりにくいとおもうよ。(そこに支配的に関わるわけじゃない)
やっぱり、幸せな(人生の全体的な満足度)人生を送るには、意味の有る人生を送ることが非常に大事になる。
自分の人生に、意味を見出さないと、「土日とも予定が入っててわーい、充実!」とかいいだす。
「土日の両方にスケジュールが入っているのが本当にあなたを幸せにするのか」って真剣に考えたらいい。
少なくとも、俺はそう思わない。
まとめ
予定がたくさん入っているから、幸せって考えは間違ってるよ!
アイスを食べてるから、幸せって考えて間違ってるよ!
その予定&経験は、全部、わすれるから!!
必要なのは、「意味有る人生」を送ること!これ大事!!
今、とてつもなく情熱を捧げられるSomethingと共に生きること!
これが大事!
(と俺は思ってる)
いじょうーー。