Twenties Dirtbag

イギリスの大学院で脳の勉強をしてきた25歳、今は広告業界で働きながら、ボルダリングジムを経営中! 基本的にどうでもいいはなし。

なんだかんだいって自由は不自由

「まあ、テキトウに好きなもの作っていいよ」

っと言われた与えられた自由は、一見、良さそうに見えるけれども、これはすごく難しい。「好きにしていいよ」って言われると、それはそれですごく難しい。

そこなかで、

「じゃあ、粘土で作られた象のようなもの」

という制限が加わると一気に楽になる。

「自由に」っていうのは、結構、難しい。

多くの人が、「自由が良い、自由が良い」っていうをたまに耳にするけど、制限があるから良いんですね。

 

「じゃあ、自由にしていいよ、好きなものを創っていいよ」

っていつ言われるかわからない、という気持ちで生きていれば、おそらく生き方の生産性はすごく上がる。

なぜなら、人間は知らず知らずして無意識に生きることができるから。すべて見た景色とか覚えている訳がないし、

もし、毎日の通勤の電車だったら、窓の外も積極的に見ることは無いだろう。

そうやって無意識に生きてしまう、人間的特性を、もし「何を創ろうか」ってすこしでも考えていれば、無意識に入らずに、1日の中で、ヒントを探そうとする。

そういう生き方が、やっぱり俺は憧れるし、良いと思う。

例えば、明日は

「昔は好きだったもの、だけど今の自分はそれを忘れてしまっていること」

を探しながら生きる。とか、そういう探しながら生きるっていいよね。

 

以上。